坊がつる野焼き・三俣山 | ||||||
2008年4月5日 | ||||||
職場の異動があり、片づけや送別会、家庭の事情もあって3週間ぶりの山行である。しかも今後はいつ山行できるかわからない状態になりそうで、なんとしても行くことにした。タイミングよく、延期された坊がつるの野焼きが今日行われるとのことで、大曲から入山して野焼きを見、その後三俣山に直登して野焼きを終えた坊がつるを見下ろすことにした。 大曲に6時着。意外にも他に車はない。野焼きはたぶん10時からなので急ぐことはない。ゆっくり準備して6:40に入山。登り始めてすぐにアセビの開花状況をチェック。ほんのわずかだが咲き始めていた。 すがもり越で小休憩して法華院へと下り、山荘前を通過して坊がつるに到着。まだ8:20で野焼きが始まる気配は全くない。そこで坊がつるを散策することにした。初めて坊がつるの中央にある道を歩き、マンサクや芽吹きの撮影をし、カレーパンを食べ、ゆったりとした時間を過ごした。 坊がつるキャンプ場付近にもどると、2人の野焼き関係者とおぼしき男性がいたので質問してみた。ていねいに時間や火をつける手順などを教えてくれた。やがて9時半頃から準備が始まり、10:05頃に点火。激しく燃え上がる炎を夢中で撮影した。野焼きは約1時間で終了し、黒々とした大地が広がった。 野焼き関係者のみなさんがキャンプ場に集合するのを見ながら三俣山に取り付く。ここは急登で途中には手がかりがあまりなく登りにくい場所があるので慎重に登る。約1時間で南峰直下のテラスに到着。 早速ラーメンを作り、いつものように食べようとしたがトラブル発生!久しぶりの山行の最後はちょっと悲惨なことになってしまった。それでも野焼きを初めて見ることができたことを喜びつつ下山した。 |
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私事で恐縮だが(そもそもこのHP全体がすべて私事ではあるのだが)、6年ぶりに異動した。九重連山に取り付かれるように登り続けたこの4年間、特に最後の2年間は土日に業務が入ることはほとんどなく、天気と家庭の事情、それと私の気持ち次第で山行することができた。ところが今回の職場では、土日にも業務が入ることが多く(2日間フルタイムではないが山行はムリ)、しかもその振り替えはほとんどないという状態で、いつ山行できるか今後は全く予想がつかない。思えば2007年度は、2007年3月28日の山行から2008年3月16日の山行まで実に37回も九重連山を歩いてきた。そのような職場環境であったことと、佐伯市からの往復のガソリン代(これがけっこうばかにならない)にも全く文句を言わなかった妻に感謝である。今後はなんとか隙を見つけて山行したいと考えているのだが、はたしてどうなることか。今後頻度はぐっと落ちるかもしれないが山行記録はUPしていこうと考えているので、今後もどうかご愛顧を願いたい。 | ||||||
6:40大曲出発→7:30すがもり越→8:10法華院山荘→8:20〜11:15坊がつる(散策・野焼き撮影)→12:20〜13:00三俣山南峰→13:40すがもり越→14:15大曲 | ||||||
6時40分の大曲。上空はよく晴れている。 私が準備しているうちに2台の車が到着。その先頭をきって入山。 |
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登り始めてすぐにアセビの開花状況をチェック。ほんのわずがだが咲き始めていた。ようやくの思いがする。 この撮影をしているうちに大曲到着2番目の人に追い越された。 |
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硫黄山道路に上がり、芽吹きを撮影しているうちに大曲到着3番目の人にも追い越された。 と言っても急ぐわけではない。自分のペースでのんびりと歩いていく。 |
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すがもり越に到着。裏の岩に登って大船方面を撮影している人がいた。 | ||||||
隅にはまだ雪が残っていた。 | ||||||
青空の三俣山を見上げる。時間が早いので登りたい気持ちもあるが、 ぐっとこらえて予定通り法華院へと下ることにする。 |
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大船を正面に見ながら北千里浜を歩く。 そう言えばここを歩くのは久しぶりだ。 |
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法華院へと下る途中、坊がつるを見下ろす。 野焼きが行われる直前で枯れ草色が広がっている。 これが数時間後には漆黒に変わるのだと思うと今から胸が弾む。 |
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坊がつるへと到着。3週間前に撮影したマンサクはまだ咲いていた。 | ||||||
野焼きまでにはずいぶん時間がありそうで、まだ始まる気配が全くない。 そこで坊がつるを散策。坊がつるの中央を初めて歩いた。 |
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以前この場所はこんなに整備されていなかったような記憶がある。 そのときは逆(向こう側)から歩いて来たのだが渡れなかったのではなかったか・・・。 |
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野焼きを知らせる看板。確かにテントが残っていたら困るだろう。 | ||||||
これは何の木の芽吹きだろう? | ||||||
大船山をバックに、逆光で撮影してみた。 | ||||||
坊がつるでもわずかに咲き始めていたアセビ。 | ||||||
9時半頃、ようやく人が集まって野焼きの準備が始まった。 ガスバーナーや消火器具をセッティングしているようだ。 |
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いくつかの班に分かれて作業するようだ。遠くにも人が見える。 | ||||||
なぜかパトカーも出動。 | ||||||
10時5分頃、離れた2カ所から点火。 | ||||||
初めは風下から火をつけ、防火帯を作っていく。火は時折激しく燃え上がる。 | ||||||
遠くからでも炎の迫力が伝わってくる。 | ||||||
やがて坊がつる周辺にも点火された。 | ||||||
火が一気に燃え上がる。 | ||||||
まさにすごい迫力だ。 | ||||||
三俣山をバックにしたこの写真を撮りたかった。 夢中でシャッターを切る。 |
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三俣山と野焼きの炎(459KB) | ||||||
最後は坊がつるキャンプ場にも火がつけられた。 | ||||||
野焼きがほぼ終了し、関係者の方々が集まってきた。 | ||||||
黒々とした大地の間を通り、三俣山へ向かう。 | ||||||
途中、坊がつるを振り返るとみなさんが集合していた。ご疲れさまでした。 | ||||||
約1時間で南峰のテラスに到着。漆黒と化した坊がつるを俯瞰する。これも今日見たかった風景。 | ||||||
漆黒の坊がつる(483KB) | ||||||
いつものようにラーメンを作り、風景と一緒にカメラに収めようとした。が、残念なことに作った位置ではうまく坊がつるが写らない。そこでコンロごと(!)草の上に移動させた(もう火は消してある)。多少不安定かなとは思ったものの、うまくバランスがとれ、撮影をすませた。 | ||||||
ところがである。次の瞬間悲劇は起きた。あっという間もなかった。とっさに半分くらいは「救出」したものの、残り半分は(卵とウインナーも)救出することはできなかった。なぜコンロごと不安定な草の上に置いたのか。調理は終えているのでコッヘルだけを移動させればよかったのに。などと考えてもすでに後の祭りであった。おまけにこの「救出」時には私はカメラを手に構えていた。とっさに手を伸ばしたため、カメラは地面(なんと濡れて泥の状態)に落下していたのだ。パネルに付着した泥を見てかなりへこんでしまった。 | ||||||
気を取り直して中途半端な食事を味わい、コーヒーを飲んで早々に下山することにした。 | ||||||
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本峰にも西峰にも寄らずにすがもり越をめざす。 その途中、西峰東端から残雪わずかな中岳方面を撮影した。 |
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硫黄山道路を下山中、長者原のタデ原湿原での野焼きを眺めた。 | ||||||
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